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2017年6月 5日

次世代に伝えたい、平和への思い

(5月23日 ピピアめふ6階)

この日は、平和について考え、学ぶ「平和の会」主催の講演会。
兵庫県原爆被害者団体協議会の古石忠臣さんを招き、
広島での被爆体験のお話を聞きました。

 

古石さんは、17歳のときに原爆投下直後の広島に入り、

救護活動に従事し、自らも被爆されました。
これまでに、小学校や中学校、約380校を回り、
戦争の悲惨さや当時の広島の惨状を、
子どもたちに伝える活動をされています。

 

街や人々の様子を語る古石さん。
参加者は、うなずきながら熱心にメモを取っていました。

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古石さん手作りの資料。長崎と広島に投下された原爆です。

平坦な広島の中心街に落とされ、甚大な被害をもたらしました。

 

部隊の集合写真を手に、当時の救護活動についても語りました。

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古石さんたちは、歩いて広島の町に入り、復旧作業に取り掛かりました。
あちこちで壊れて噴水のように噴き出している壊れた水道を見つけては、
石やコンクリートで水道管をたたいて潰し、水を止めて回りました。

 

その後は、何日もたくさんの遺体を運んだり焼いたりする作業に。
古石さんは、ご遺体が着ていたモンペを少し切り取っておいて、
遺骨の一部と一緒に皿にのせて並べました。
家族が、モンペの柄を見て確認できたら良いという思いからでした。
数日後、子どもを探しに来た人が並べてある皿の中から、
娘さんのモンペの柄を見つけられたそうです。

 

「モンペは買うものではなく、家にある着物や端切れで作るので、
 家族なら大抵、柄で分かります」
当時の日本人の生活ぶりが目に浮かぶ話に、
目頭を押さえる参加者もいました。

 

古石さんも、放射能や衛生状態の悪い中での作業で身体を壊され、
その後、大変、ご苦労をされました。

 

「被爆者の苦しみや痛みを、
 特に戦争を知らない子どもたちに、
 しっかりと伝えていきたい。
 平和であることのありがたさをわかってほしいです」
と古石さん。

 

参加者は、
「悲しいお話に泣いて、それで終わりではダメですね。
 平和への活動は自分にもできるはず。
 これからもっと考えていく良い機会になりました」
と話していました。

 

"今日ある「平和」は、
 かつて戦争で多くの人たちが犠牲になった上につくられている"

 

そのことを改めて感じました。
早速、子どもたちと平和の大切さについて語り合い、
じっくりと考えてもらおうと思います。

(第1地区ライター・高野充子)

投稿者:kouhou
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